悪魔といっしょ。~Devil and kitten's Christmases~   (カルツ)






誰よりも何よりも、貴方の幸せを願います。
たくさんたくさん、願います。



白。
認識できるのはその色だけだった。
上も下も右も左も、全部が白い。
その白の中に、コノエは一人、ぽつんと立っていた。
否、立っているのかどうかさえあやふやであった。足の裏には何かが当たる感触があるので、立っているのは間違いない、と思う。しかし、なんだかとても曖昧な感触なので自分は浮いているのではないかとも錯覚させるのだ。
そもそも、何処が上でどれが下なのかすら分からない。
視界が一色に染まっていること、足元が覚束ないことなので胸の中に僅かながら不安が湧き上がってくる。
それに覚醒を促されたコノエは、小さく頭を振ってぼんやりと霞がかった意識を飛ばした。

(―――ここ、どこ…だろ…)

どうしてこんな所にいるのだろう?
うーん、と小さく眉を寄せながら考えてみるものの、自分がさっきまで何処で何をしていたのかが思い出せない。
自分の記憶が薄いのを少しだけ歯痒く思いながら、コノエは周囲を見渡した。
どこまでもどこまでも続く白。何か目印になるようなものも、人影も見えない。
それほど攻撃的な色合いではないけれど、やはり落ち着くというよりは徐々に焦りが湧き上がってくる気がする。
多分、それは自分が一人だということも関係しているのだけれど。

「………ひと、り。…みんなは?」

そこまで考えて、はたとコノエは気がつく。
みんな。―――みんな。

いつも一緒に居てくれて、コノエが困れば助けてくれて、とても温かい。
大好きで大好きで、たくさんの幸せをくれる、みんな。
コノエもみんなに幸せを返したいのだけれど、返した分以上に幸せをくれるから。
嬉しいけれど、少しだけ困ってしまう。どうすれば、それ以上を返せるのかな、と。
それを告げたことはない、けれど。どうやって伝えればいいのかも分からなかったし。

そこまで考えて、コノエは先程とは比べ物にならないくらいの焦りと恐怖を感じた。
みんな、というのは何を指すかは分かる。自分の大切なものだ。誰よりも大好きな人たちだ。
しかし、思い出せない。顔も、名前も、姿も、声も。
コノエはそのことにただ恐怖した。自分の中で、彼らの記憶まで薄れたのかと。いなくなってしまうのか、と。
呼吸が上がる。どうすればいいのだろう?
忘れたくない、一緒に居て欲しい、いなくならないで、たすけ、て。

「―――っ…」

名前を呼びたい。呼んで、何処にいるのと叫びたい。
そうだ、探さなくちゃ。でも何を?どんな顔をした人を?
ぐるぐると、焦りと恐怖だけが全身を駆け巡って、増幅されていく。

「……だ…やだぁっ……、…ぅくっ」

泣いたってなんの解決にもならない。
それは分かっている。
けれど、ぼろぼろと涙は流れ出てくる。
それほどまでに、コノエの中には彼らが、居た。コノエの中でとても大きくて大切な部分を占めている。
それが抜けた穴は、一生かかっても埋められないくらい大きくて。
そしてそれ以上に、彼らを失うことが恐怖の対象だった。

『―――…ノエ。…コノエ』

唐突に響いた声にコノエは顔を上げる。
驚いたことによって、涙も一時的に止まってしまっていた。
声、だ。
知っている。コノエを呼んでくれる、大好きな。
コノエは慌てて周囲を見渡した。何処からだろう。何処から聞こえている、のか。
名前が分からないから、この声に応えることも出来ないのだ。
また涙が出てきそうになって、けれど耐えた。泣いている場合ではない。
足を踏み出しながら、周囲をひたすら見回して声の発生源を探す。

『コノエ』

もう一度声が聞こえた瞬間、視界にさっと何かが過ぎる。

―――今の、は。



―――青色の影……?
目に入ったのは一瞬だった。見間違いかもしれないけれど、コノエはその色に惹かれた。走り出す。
青色の影はやはり、あった。
近いとも遠いとも思える位置で、ゆらゆらと揺れている。
その影に近づこうとコノエはひたすら走った。

青、そう、青の。
常に距離を開けて悲しそうにしていて、でもコノエから近づけば見惚れるほど綺麗に笑う。
いつまでも見ていたい綺麗な顔も、コノエと呼んでくれる涼やかな声も、月の光に似た優しさも。
ずっと心を寄せていて。

嗚呼、あれは。
彼の、名前は。
―――カルツ、だ。

「カル……!」

叫んだ瞬間、世界が割れた。



「カル……!」
「コノエ……?」

目を開けたのに、視界は未だに真っ暗だった。
早鐘のようになっている心臓を落ち着かせようとしながら、コノエは今度は黒い世界かと怯える。
しかし、目の周りがなんだか冷たくて心地いい。
訳がわからず混乱していると、目の前が急に開けた。
コノエの見開いた瞳に写っているのは見慣れた天井と、困ったように此方を見ているカルツ。

「カル…」
「驚かせてすまない。うなされていたようだから…」

カルツがなぜ謝っているのかわからなかったコノエだが、ああと思う。
多分、カルツは心配してコノエの目元や額を撫でてくれたのだ。
丁度カルツの手が目にあるところだったので、暗かったのだろう。あの心地いい冷たさはカルツの手だったのだ。
コノエはゆっくりと体を起こしながら、少しだけ深呼吸をした。
まだバクバクと心臓は脈打っていたけれど、カルツに心配をさせてはいけない。

「だいじょうぶだよ、カル。嫌じゃないよ?」
「………、」

冷たくて気持ちよかった、と笑えばカルツは少し、悲しそうな顔をした。
それにコノエは目を見開いた後、俯く。自分は今、何か不味いことを言ってしまっただろうか。
カルツの悲しそうな顔は、あまり好きではない。本当に悲しそうで、コノエの胸はカルツのそういう顔を見るたびにきゅ、と誰かに掴まれたように竦むから。
カルツの笑ったときの、綺麗で温かな表情を知っているからこそ、そういう顔はして欲しくなかった。

「コノエ、」

カルツが促すようにコノエの名前を呼ぶ。
コノエがおずおずと顔を上げれば、意外と近くにカルツの秀麗な顔があって驚く。
カルツはそんなコノエに構わず、そっとコノエの頬に手を当てた。
それからもう一方の手で、コノエの顔を指で辿る。何かを探すかのように。何かを確かめるように。
コノエはカルツに呼びかけてみるものの、彼は応えない。ただその金色の瞳でコノエを見返している。
その時、コノエの胸の中が何かで満たされるような妙な感情が湧き上がる。
ぽろ、と何かがコノエの目じりから零れ落ち、次々に溢れ出てくる。
―――涙。

「あっ…!ちが、なん…で……」
「―――コノエ」
「ちがうよ、カル。泣いて、ないよ…ないて」

これではカルツを困らせてしまう。もう出るなと念じながら、コノエはぎゅっと目を閉じた。

「コノエ、我慢することはない。…泣いても、いい」
「……カル?」
「お前は強い子だ。けれど、その小さな体に何でも背負うことは出来ない」
「…でも」
「そして背負う必要もない。泣きたいときは泣いていいし、縋りたいときは縋ってくれればいい。コノエが我慢をする度に、私は辛い。泣いて楽になることならば、泣いてくれて良いんだ。コノエ」

じっと真正面から見詰められて、コノエは肩を跳ねさせる。
しかし月のように綺麗な瞳には、心配と真摯さだけがあった。
コノエが泣きたいくらい不安だということはカルツにはお見通しだったらしい。
そしてコノエは、それが嬉しかった。
それほどの不安を理解したうえで、泣いても良いと許してくれている。
カルツの清流のような優しさは、心にこびり付いた不安を綺麗に流してくれるのだ。

「カル…」
「あぁ」
「心配かけて、ごめんなさい」

謝れば、カルツは淡く微笑して首を横に振った。
そっと頭を撫でてくれた白くて繊細な手が、心の奥にあった黒い不安を拭い去る。



カルツは例え朝ごはんでも手を抜かない。
ちゃんと栄養の取れる食事を作ってくれている。量も多すぎず少なすぎず、ちょうど腹八分目と言ったところだ。
いつものように5人全員で朝食を取った後、食べた後の食器を流しに持っていく。
この辺りはカルツとラゼルが教え込んでいるので、同年の子供よりもコノエはしっかりとしている。

「カル、ごちそうさまでした」
「ああ、お粗末様でした」

きちんと挨拶の出来るコノエの頭を優しくカルツが撫でる。コノエはその感触に嬉しそうに笑った。
それからくるりと食後のコーヒーを楽しんでいるラゼルを振り返る。

「ラー、今日もあれやろう?ひらがな!」
「あぁ、分かった。すぐに行くから先に着替えて待っててくれるか」

それに素直にうんと頷いてリビングから出て行くコノエ。
最近では主にラゼルが読み書き、カルツが算数…と呼べるほどでもないが足し算引き算程度を教えている。
勉強というほどの勉強ではないが、まぁ少し早く始めるのは悪くはないだろうということで小一時間程度、コノエにこういったことを教えている。
ついでながら、ヴェルグやフラウドはこういうことには参加していない。
ヴェルグがそんなものを教えるわけもなかったし、フラウドは教える時にいらんことも教えるので。
この二人はどちらかと言えば、コノエと一緒に遊んで運動をさせたりという役割を持っている。
空になったカップを置き、席を立ったラゼルはカレンダーが目に入りふと笑う。

「―――ラゼル?」
「……いや、毎年思うことだが悪魔がクリスマス、とは。中々面白い趣向だ」
「今更のような気もするが。まぁ、クリスマス本来の意味を分かって祝っている人間も何人いるか分からないだろう」
「それもそうだ。それに別に、俺たちは聖者を祝っているわけでもないしな」
「無論だ」

祝うのは、愛しいあの子と今年も一緒に過ごせたということ。
未だあの子が自分たちと一緒に居てくれているということ。
それから、これからも一緒に居て欲しいという願い。
悪魔たちにとってのクリスマスというのは、そういうことだ。
お互いに苦笑にも微笑にも似た笑みを交わした憤怒と悲哀の悪魔は、そのままお互いがするべきことのためにそれぞれの場所へと向かった。



「―――まいったな」

ラゼルとの『お勉強』が終わったコノエは、リビングへと戻ってココアを飲んでいた。
カルツの作ってくれた丁度よい甘さのココアを味わっていたコノエは、聞こえて来た声に小さく首を傾げる。
ココアが入ったカップを机の上に置くと、キッチンへと顔を出す。

「カル?」
「あぁ、コノエ。飲み終わったのか?なら、カップは流しに…」
「うぅん、まだ。…カル、なにかこまった?」

そう訊くと、カルツは秀麗な表情を少しだけ苦笑の形に変えた。

「聞こえてしまっていたか。今日のケーキの準備をしようと思ったんだが、材料が足らないことに気がついてな」
「コノエが行って来てあげる!」
「それは……しかしコノエ、」
「いいでしょ、カル。コノエもおつかい出来るよ」

ね、とカルツを見上げ、服の裾を掴む。
カルツは僅かに躊躇していたが、コノエのおねだりに根負けした。
しゃがんでコノエと目線をあわせ、落ち着かせるように肩に手を置く。

「―――わかった。しかし、一人では駄目だ。他の誰かについて行ってもらいなさい」
「うんっ。じゃあね……」



コノエはうーんと、宙を眺めて考えた後にちらりとカルツの横顔を見る。
……だめ、だろうか。でも、言うだけは言ってみよう、か。

「コノエ?」
「―――カルといっしょに、いきたい」

カルツの瞳が緩く見開かれる。
それを見たコノエはやっぱりいい、と言おうとしたけれど。
その間にカルツの驚いた瞳が柔らかく和んで、微笑ってくれたので。その言葉を飲み込んだ。

「お前が、私とでいいのなら」
「…うん。カルが、いい」
「そうか。…では、一緒に行こう。コノエも寒くないように準備をしておいで」
「はーい」

コノエは元気良く返事をすると、コートなどを取りに自室へと走って向かった。



街はクリスマス一色、という描写そのものだった。
まだ明るいうちから煌くように光るイルミネーション、ツリーやサンタを模した飾り、ケーキやお菓子が立ち並ぶ。
いつもの街中ががらりと変わったその風景に、コノエは目を輝かせた。

「すごいね、カル!いつもとぜんぜんちがうね…」
「やはり変わるものだな。人も多い。…コノエ、はぐれないようにしなさい」
「うん。どこもキラキラひかってきれいだね」
「あぁ、そうだな」

コノエの大きな茶色の瞳に、輝くイルミネーションが写っている。
カルツはコノエの瞳の方が余程綺麗だ、と心の中で思ってから僅かに自嘲した。どうにも感傷的だ、と。
別に悪いことではないが、少し自分の思考回路が恥ずかしいなとも思う。
そんな中、手を繋いでいるコノエがくいくいとカルツの腕を引いた。

「どうした、コノエ?」
「いっぱいキラキラしててきれいだけど…、キラキラにいるカルの方がきれいだね?」
「―――………」

なんだか、自分の考えと似たようなことを言われてしまった。
子供は素直で良いけれど、それが少々恥ずかしいこともある。
ふと、熱が顔の方に来た気がしてカルツはさり気無く口元を手で覆い隠した。
……多分、口元が緩んでいるという自覚があった、ので。

「私などより、コノエの方が綺麗だ」
「ほんと?…じゃあ、二人でキラキラだね」

そう返せば、嬉しそうに笑う。
コノエの嬉しさを表すように、繋いでいる手がぶらぶらと揺れた。コノエが動かしている。
コノエはよく、『一緒』という言葉で喜ぶことが多い子だと思う。
何か綺麗なものを見つければそれを見せたいと思い、何か嬉しいことがあれば他の皆も嬉しいともっと嬉しい。
それを優しいとか思いやりがある、という言葉で片付けるのは簡単だけれど、何かニュアンスが違う気もした。
優しい、というのも間違ってはいないけれど。

(―――慈愛、か)

ふと思いついた単語に納得する。
慈しんで愛する。それが一番近いような気がした。
今はまだ、その慈愛が向く筆頭は自分たち…悪魔ではあるけれど。
コノエが成長した時にそれが向くのは、誰なのだろうかと思う。
自惚れではなく、今コノエの中で優先順位が高いのはカルツたちだ。しかし、この先コノエは外の世界を知っていかねばならないし、ずっと自分たちの枷に縛り付けておくわけにも行かないのだ。
その過程で、コノエの心は誰に向けられ、誰に心を寄せるのだろう。
チリ、と心が疼くような感覚。
まだ自分にも嫉妬するようなものが残っていたかと自嘲よりも先に苦笑が先にたった。

「ねぇ、カル」
「……あぁ、どうかしたか?」
「コノエにも、おりょうりってできるかなぁ」

唐突にされた質問に、小さく首を傾げつつもカルツは頷く。

「そうだな。正しいやり方を覚えれば、コノエでも出来るようになる」
「ほんと?!」
「本当だ」
「…じゃあ、カル、教えてくれる?」

表情を輝かせて自分を見上げてくるコノエを、見返す。
無論、構わないと頷きながら、けれどどうしていきなり料理なのかと問うた。
コノエは興奮のためか、照れのためか頬を上気させて答える。

「カル、いつもコノエたちにごはん作ってくれてるでしょ?」
「あぁ」
「でも、いつもたくさん作ってたいへんでしょ?だから、コノエもおてつだいできるかなって」

思ったの、と照れくさげな笑みで言われてカルツは一瞬固まった。
その次の瞬間には、自然と口元から微笑が零れていた。
やる者が居ない状態で仕方なく始めた料理ではあったけど、今ではそれほど苦痛でもない。
それに、コノエが喜んでくれる顔を見るのは嬉しいのでずっとカルツが料理を続けていた。
コノエは多分、カルツが料理している姿を何度も見ているはずで、その度に声をかけると何か言いたそうにしていたのはコレが言いたかったのかもしれない。

「そうか、コノエが手伝ってくれるのか。それは頼もしいな」
「えへへ。…それでね、カルよりもじょうずになったらコノエがカルのごはん作ってあげるね」
「それは…楽しみだな」

本当に、楽しみだと。
けれど、カルツはこっそりと料理の腕を磨こうと決意していた。
自分を超えない限り、コノエと一緒に料理が出来る、なんて。自分の中の独占欲に再び苦笑しながら、カルツはコノエ用のエプロンやら包丁やらを揃えよう、と思った。



「せーの!」

可愛らしい声を合図に、グラスとグラスが触れ合う甲高い音。
鮮やかなピンク色の液体が揺れている。―――シャンパン。
一通り皆と乾杯してから、その液体を喉に流し込む。
あっさりと飲み干す悪魔達を尻目に、コノエはちょびちょびと。
炭酸が少し苦手なコノエは、けれど自分も飲みたいと言った手前少しずつ飲むことにしていた。
机に並ぶのは料理店も真っ青な豪華な食事。
カルツの腕が遠慮なく振るわれた結果だ。

「あー、シャンパンじゃ物足りねぇなやっぱ」
「そう言うと思った」

開口一番そう言うヴェルグにラゼルは苦笑して指を鳴らす。
魔法のようにラゼルの手に現れたのは年季の入った赤ワインのボトル。
それを見たヴェルグは口笛を鳴らす。

「いいの持ってんじゃねぇの」
「本来はお前には勿体無い代物だがな」
「んだとコラ」
「ワインは味わうものだ。がぶ飲みするものではない」

ぴしゃりと言ってのけるラゼルに不服そうな顔をするものの、ヴェルグは何も言わない。
此処で反論の一つでもすればワインが自分の口に入ることなく消えることを承知しているからだ。

「ベル、コノエも飲むっ」
「おーそうか?まぁちっとなら…」

いい、と言いかけたヴェルグの手元にナイフが突き刺さる。――神速。ヴェルグでなければ避けられなかっただろう。
ピキ、とヴェルグのこめかみに青筋が浮く。視線の向かう先は無論。

「てめぇ、いい度胸してんじゃねぇか…」
「無責任なことばかりを言うからだ。コノエは未成年どころかまだ思春期にすら到達していないのだが?」
「こういうのは無礼講っつーんだよ!」
「普段から無礼な貴様にそんなものはない」
「やるかこらァ…!」
「―――はいはいはいはい。おめでたい日にそういうことするの止めてくれる?」

カルツからは冷気が立ち上り、ヴェルグからは電撃の火花が散る。
こんな日までも一触即発な二人にフラウドが割って入る。
にこりと穏やかに笑っているものの、フラウドの背後で風が渦巻き、黒いオーラが出ている。
そんな彼に逆らおうとするものが居るだろうか?―――いいや誰も居ない。
さらにはラゼルの静かながら鬼火を灯した視線がざくざくと突き刺さっているのもよろしくない。
静まった二人を横目に見つつ、フラウドはきょとんとしているコノエに声をかける。

「あぁ、ごめんねコノエ。…何か食べるかい?届かないところの、取ってあげようか?」
「…あ、うん。食べる!あのね、あのね、あっちのと――…」

さらっと話題を逸らし、酒の関心からコノエの心を別の方向に向ける手腕はさすがと言うべきだろうか。
ラゼルはやれやれとため息を吐きつつ、ワインを自分たちのグラスに新たに注ぐ。

「仕切りなおしだな」
「……すまない」
「構わないさ」

静かに詫びるカルツに首を横に振りつつ、横でケッと吐き捨てるヴェルグの脛に一撃を入れるラゼル。
痛みに声も出ずに悶えるヴェルグを指差し、首を傾げるコノエにフラウドが気にすることはないと肩を竦める。
いつもと同じように、けれど少し違った雰囲気を纏いながら、コノエと悪魔達の食卓は進んだ。
もちろん、デザートの大きなケーキもカルツの手作りでコノエは目を輝かせる。
ケーキ職人にでもなっちまえとヴェルグが言えば、なっても貴様には絶対食べさせんとカルツが静かに睨みつける。その光景をフラウドが見て肩を竦めながら笑い、ラゼルはさっさと蝋燭に火をつけていた。

準備が出来れば、ちらりと皆で視線を交わして。いっせーのせ、で。

今年も君と過ごせました。
そのありがとうを込めて。

今年も君の隣に立てました。
その幸せを込めて。

来年も君と一緒に居たいです。
その願いをいっぱいに込めて。

『メリー・クリスマス!』



「んと……」

楽しくて綺麗で、きらきら光ってたような夕飯の時間が終わる。
特別な日。一年のとある普通の日だけど、特別な日。
それが終わるのももうすぐで。
皆で居るのも勿論すごく楽しかったし嬉しかったけれど。
でもやっぱり、最後は一緒にいたいな、と思ったので。

コノエは―――。



コノエはそのままキッチンへと向かった。
そこにはカルツが居て、夕飯で使った食器洗いや片づけをしている。
ひょこ、と台所を覗き込んだコノエはカルツに声をかける。

「カル!」
「…コノエ?」

振り返ったカルツに嬉しそうに頷きながら、近くまで寄る。
僅かに瞠目している瞳は、どうしてコノエがいるのだと暗に問うていた。

「コノエ、おてつだいしてあげる」
「…それは、助かるが…。でも、いいのか、コノエ?」
「なにが?」
「いや、ラゼルやヴェルグと一緒に居なくても、いいのかと」
「コノエはカルといっしょがいいの」

だからおてつだい、とニコニコと笑いながら言うコノエにカルツは瞠目していたが、分かったと頷く。
そっと繊細な白い手でコノエを撫でながら、僅かに微笑した。

「では、お言葉に甘えて手伝ってもらおうか」
「うん!なにをすればいい?」
「テーブルにまだ食器があるから、持ってきてくれるか?少しずつでいい」
「はーい」

しっかりと片手を上げて返事をし、走っていくコノエをカルツは穏やかに見送る。
それから踵を返して途中だった食器洗いを再開させながら思うのは、コノエのことだ。
何にでも一生懸命で、けれど時々それが心配になったりもする。
一生懸命に走りすぎて、何かに躓いて転んだ時に大きな怪我をするのではないか、と。
カルツだけではなくラゼルたちも、あの子の走る道の石を出来るだけなくそうとはしている。
それでも絶対にあの子が転ぶことはあるはずで、そして転んだなら自分の力で立たなくてはいけない。
手を貸すことは出来るけれど、それが逆に良くないときも、ある。
また、手を貸したとしても、あの子がまた立って走り出そうという意志を持たなければ意味がない。
結局は、自分たちに、自分に出来ることなんて僅かだ。
いくら悪魔だと言っても不可能なことはいくらでもある。
万能の存在どころか、時に人よりも悪魔は弱い。そんな面があるのも確かなのだ。
だからこそ、コノエの小さな幸せも自分たちが感じる小さな幸せも与えたいし与えられたいし、守りたいと、思う。



「カルのケーキ、すっごくおいしかった!カル、ケーキ屋さんになれるね」
「そう言ってもらえると嬉しい。頑張った甲斐がある」

ふわりと洗剤の香りが香る台所。
食器を運び終わったコノエは、台に乗ってカルツと一緒に食器洗いをしていた。
いつもならばそれほど時間はかからないけれど、何せ今日は料理の量が多かったものだから必然的に洗う食器の量も増える。なので、カルツに頼んで台を持ってきてもらって洗い物。
とりとめもない話を二人でしながら、ゆっくりとした時間を過ごしていた。

「コノエ、手は痛くないか?」
「へいきだよ。…どうして?」
「あまり水に触れていると手が荒れるからな。お湯にしてあるので大丈夫だとは思うが」

特にこの時期は乾燥しているので、後でコノエの手にハンドクリームでも塗ってやった方がいいかもしれない。
そんなことを考えながら、手際よく食器を片付けていく。
以前、それをフラウドに見られ『主夫みたいだね』と言われたのは記憶に新しい。
唯一の救いだったのが、『婦人の方じゃないからね。夫の方ね』と言われたことだろうか。
根本的に変わらないと言われてしまえばそれまでだが。
しかし一体誰が自分を主夫に追い込んだと思っているのか。
ふ、と今更な思考を緩く首を振って頭の外へ飛ばす。
…と、丁度コノエが最後のお皿を立てかけたところだった。

「おっしまーい」
「お疲れ様。…すまないな、手伝わせて」
「うぅん。あんまりやったことないから、面白かった。それに、」
「それに?」
「カルといっしょだったから、たのしかったよ?」

またおてつだいするね、と無邪気に笑う。
その言葉がどれだけカルツを喜ばせるかも分からずに。
水に濡れたためにいつもよりもしっとりとしている手をコノエの頭に乗せ、髪を梳くようにしてそっと撫でる。
ありがとうと、よく頑張ったねを込めて。
他人の感情に聡いコノエは、なんとなくそれが分かったのだろう。
もう照れくさそうに、嬉しそうに笑った。

「―――コノエ、まだ、お腹に余裕はあるか?」
「?…うん。だいじょうぶ、だけど」
「……よければ、お前に食べてもらいたいものがある」
「うん、なぁに?」

カルツは後ろにある冷蔵庫の奥にしまってあったものを取り出した。
仄かに香るのは甘くて、芳ばしい―――。

「わ…。カル、これなに?ケーキ?」
「ケーキ…ではないかな。プディングだ」
「すごい…」

山のように緩やかな線を描いて、粉砂糖やデコレーションを乗せたおいしそうなプディングだった。
コノエの反応に優しく目元を和ませると、カルツは先程まで夕食が並んでいたテーブルにプディングを置いた。

「これはクリスマスプディング、と言う。イギリス…外国の方でクリスマスの時に食べるものとして知られている。ケーキの代わりにしたりもするらしい」
「へぇ…」
「入ってるのはドライフルーツやナッツだから、コノエにも食べれると思うんだが…」
「うんっ!たべたい!…でも、カル。いいの?ラーとか…よばなくて」
「―――これは、いいんだ。私からのコノエへのクリスマスプレゼントだから」

きょとん、と見返してくる瞳に苦笑する。
そっとプディングに包丁を通しながら、カルツは静かに告げた。

「コノエがどんなプレゼントがいいのか分からなくてな。…結局、私の唯一誇れるものに頼ってしまった」
「カル…」
「けれど、精一杯に腕を振るったつもりだ。…貰ってくれるか?」
「…っもちろん!だって、これはカルがコノエのために作ってくれたんでしょ?すごく、うれしいよ?」

カルツが一生懸命作ってくれたものをいらないなんて言う筈がない。
そう告げれば、カルツは今まで見たこともないような表情で笑った。
その表情に、コノエは胸がきゅうと縮むような感覚を味わう。
悲しいのではなく、悔しいのでもない。ただ、甘さを引く柔らかい痺れに似た。
少しだけ苦しくて、でも優しいものに包まれているかのような。
それは決して不快なものではない、心―――気持ち。
カルツが食べやすい大きさに切ってくれたプディングを、そっとフォークで刺して口へと運ぶ。
じんわりと優しく広がっていくような味が、とても美味しい。
でもきっと、こうしてコノエの心までが美味しいと言っているのは、カルツの気持ちが嬉しいからだ。
カルツがコノエのために、と作ってくれたものが嬉しくて心が美味しいと言っている。
同じようにそれが美味しくて、味覚も美味しいと言っている。
その二つが合わさっているから、これはきっとコノエにしか味わえない味だ。

「……やさしいあじがする」
「優しい?」
「うん。…カルの作ってくれた、やさしいあじ」

優しい味、と。それがコノエの感じた素直な味だ。
甘さがじんわりと広がっていくのも、カルツがコノエのためにと作ってくれたのも、優しいから。
優しい味、カルツの味だと。
コノエは、そう答えた。

「ねぇ、カル」
「何だ?」
「やっぱりコノエ、カルにおりょうりおしえてもらうね。それで、コノエがカルにこれ、作ってあげるの」
「コノエ、」
「そしたら、カルが作ってくれたのとこうかんしよ。それで、二人でおいわいしようよ」

ね、とコノエが笑う。
一生懸命作って、ありがとうと優しさと、幸せを全部全部詰め込んで。
大好きだと、伝えるから。

「―――あぁ、そうだな。一緒に、お祝いしようか」

そしてそのお祝いは、またお前と一緒に居られる喜びに満ちたものにしよう。
そうやって、お祝いを重ねていってずっと一緒に居られればいい。
それはきっと不可能なんかではないと、カルツは思った。
それを信じさせてくれるこの子が居る限り、一緒に居ることは不可能なんかじゃないと。



Happy Christmas!





〜END〜






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TEXT by 「紅鴉の唄:神末」さま