悪魔といっしょ。~Devil and kitten's Christmases~ (ラゼル)
誰よりも何よりも、貴方の幸せを願います。
たくさんたくさん、願います。
白。
認識できるのはその色だけだった。
上も下も右も左も、全部が白い。
その白の中に、コノエは一人、ぽつんと立っていた。
否、立っているのかどうかさえあやふやであった。足の裏には何かが当たる感触があるので、立っているのは間違いない、と思う。しかし、なんだかとても曖昧な感触なので自分は浮いているのではないかとも錯覚させるのだ。
そもそも、何処が上でどれが下なのかすら分からない。
視界が一色に染まっていること、足元が覚束ないことなので胸の中に僅かながら不安が湧き上がってくる。
それに覚醒を促されたコノエは、小さく頭を振ってぼんやりと霞がかった意識を飛ばした。
(―――ここ、どこ…だろ…)
どうしてこんな所にいるのだろう?
うーん、と小さく眉を寄せながら考えてみるものの、自分がさっきまで何処で何をしていたのかが思い出せない。
自分の記憶が薄いのを少しだけ歯痒く思いながら、コノエは周囲を見渡した。
どこまでもどこまでも続く白。何か目印になるようなものも、人影も見えない。
それほど攻撃的な色合いではないけれど、やはり落ち着くというよりは徐々に焦りが湧き上がってくる気がする。
多分、それは自分が一人だということも関係しているのだけれど。
「………ひと、り。…みんなは?」
そこまで考えて、はたとコノエは気がつく。
みんな。―――みんな。
いつも一緒に居てくれて、コノエが困れば助けてくれて、とても温かい。
大好きで大好きで、たくさんの幸せをくれる、みんな。
コノエもみんなに幸せを返したいのだけれど、返した分以上に幸せをくれるから。
嬉しいけれど、少しだけ困ってしまう。どうすれば、それ以上を返せるのかな、と。
それを告げたことはない、けれど。どうやって伝えればいいのかも分からなかったし。
そこまで考えて、コノエは先程とは比べ物にならないくらいの焦りと恐怖を感じた。
みんな、というのは何を指すかは分かる。自分の大切なものだ。誰よりも大好きな人たちだ。
しかし、思い出せない。顔も、名前も、姿も、声も。
コノエはそのことにただ恐怖した。自分の中で、彼らの記憶まで薄れたのかと。いなくなってしまうのか、と。
呼吸が上がる。どうすればいいのだろう?
忘れたくない、一緒に居て欲しい、いなくならないで、たすけ、て。
「―――っ…」
名前を呼びたい。呼んで、何処にいるのと叫びたい。
そうだ、探さなくちゃ。でも何を?どんな顔をした人を?
ぐるぐると、焦りと恐怖だけが全身を駆け巡って、増幅されていく。
「……だ…やだぁっ……、…ぅくっ」
泣いたってなんの解決にもならない。
それは分かっている。
けれど、ぼろぼろと涙は流れ出てくる。
それほどまでに、コノエの中には彼らが、居た。コノエの中でとても大きくて大切な部分を占めている。
それが抜けた穴は、一生かかっても埋められないくらい大きくて。
そしてそれ以上に、彼らを失うことが恐怖の対象だった。
『―――…ノエ。…コノエ』
唐突に響いた声にコノエは顔を上げる。
驚いたことによって、涙も一時的に止まってしまっていた。
声、だ。
知っている。コノエを呼んでくれる、大好きな。
コノエは慌てて周囲を見渡した。何処からだろう。何処から聞こえている、のか。
名前が分からないから、この声に応えることも出来ないのだ。
また涙が出てきそうになって、けれど耐えた。泣いている場合ではない。
足を踏み出しながら、周囲をひたすら見回して声の発生源を探す。
『コノエ』
もう一度声が聞こえた瞬間、視界にさっと何かが過ぎる。
―――今の、は。
―――赤色の影だったはず。
白い世界に映えたその色。間違えるはずなんてない。コノエは赤い残像を探しながら走り出す。
赤色の影はやはり、あった。
立ち止まり、周囲を見回して驚愕する。影はすぐ目の前にあった。
しかし、手を伸ばしても掴めない。近づけば離れて行く。その影に触れようと影を追う。
赤、そう、赤の。
いつもコノエの手が必ず届く位置に必ず居てくれて、呼べば誰よりも早く駆け寄ってくれて。
コノエを呼ぶときの甘い響きの声だとか、あの蒼穹に似た瞳だとか、業火とは似ても似つかない優しい炎だとか。
掛け替えのない存在で。
嗚呼、あれは。
彼の、名前は。
―――ラゼル、だ。
「ラー!!」
叫んだ瞬間、世界が割れた。
「ラー!!」
「コノエっ?!」
無意識に助けを求めるように手を伸ばす。その手はきっと、宙を掻いて終わるはずだった、けれど。
パシリ、と軽い音を立てて手が取られる。
コノエは呆然としながらそれを見遣った。自分よりも遥かに大きい手が、しっかりと自分の手を掴んでくれている。
その掴んでくれている手を辿っていけば、心配そうな顔でコノエを見ているラゼルの姿があった。
「あ……」
「―――俺が誰か、分かるなコノエ」
「ラー…」
「…あぁ。辛かったな、大丈夫か?」
微かに小刻みに震えているコノエの手をくい、と引き寄せ温めるように両手で包む。
それに僅かながらも安堵しながら、コノエは視線を上に戻す。…見慣れた天井。
そこでさっきのは夢で、此処は自分の部屋なのだと思い至った。
どっと疲れと現実感と安堵が押し寄せ、全身から力が抜けていく。
ラゼルはそんなコノエに眉を寄せ、片方の手をコノエの頬に手を伸ばした。もう一方は、しっかりと手を握ったまま。
「嫌な夢だったのか。随分うなされていたようだった」
「…うん。だって、」
だって、ラゼルが居ないのだ。ラゼルのことが思い出せないのだ。
これ以上に恐いことなんて、ない。言いかけて、コノエは唐突に口を閉ざす。夢の内容を喋ってしまえば、本当にラゼルが居なくなってしまうような気がした。
「コノエ?」
「………言いたく、ない」
「コノエ…」
「やだ、よ。…やだ」
頑ななコノエの態度にラゼルは困ったように再び眉間に皺を寄せた。
ベッドの脇にしゃがむと、コノエの上半身を起こさせる。丁度、ラゼルとコノエが向き合う形になった。
手を握ったままだった片手を離し、コノエの両頬をそっと包む。
「コノエ、嫌な夢は言った方がいい。溜め込むといいことなんてないぞ」
「だって、やだもん。……ラーがいなくなっちゃうのやだっ!」
叫ぶように、癇癪を起こすようにコノエは叫ぶ。
夢の内容を話すのが嫌なのではなく、夢の内容が本当になるのが嫌なのだと。
そう告げたコノエにラゼルは、口角を上げて微笑する。
「何を言ってるんだ、コノエ」
「………」
「俺は、お前を置いていなくなったりなどはしない。絶対に」
「……だって」
「俺が一度だってお前を置いて言ったことがあるか?…ないだろう?」
「ラー…」
「お前が俺が居なくなることが望みだとでも言わない限り、俺はお前の傍を離れない。お前が呼んでくれたらすぐに来るし、お前が手を伸ばすなら必ず掴んでみせる」
さっきだってそうだっただろう、と優しく目元を和ませて告げられる言葉はコノエの心を優しく揺らす。
じんわりと頬から伝わる温もりもコノエを後押ししたのかもしれない。
コノエは躊躇いながらも、ゆっくりとたどたどしい口調で夢の内容を告げた。
「それで、ラーが近くにいるのにつかめなくて、遠くなってっちゃって…だから」
「そうか。……でも、大丈夫だコノエ。それは偽者だからな」
「えっ?!」
「例え影であっても、俺がお前の伸ばした手に応えないことはない。…それを覚えておいてくれ、コノエ」
だから、夢のヤツは偽者だとあっけらかんと言ってのけるラゼルにコノエはきょとんとする。
そして徐々にラゼルの告げた意味を理解して、笑う。
ラゼルの信頼は決して押し付けがましいものではなくて、でもうすっぺらいものでもない。
そのコノエを信じてくれる心にコノエも応えたいと思う。
そんなコノエに漸く笑った、とラゼルは嬉しそうに目を細めた。
「コノエそろそろリビングへ行こう。カルツと朝食が首を長くして待っている」
「うんっ!」
カルツは例え朝ごはんでも手を抜かない。
ちゃんと栄養の取れる食事を作ってくれている。量も多すぎず少なすぎず、ちょうど腹八分目と言ったところだ。
いつものように5人全員で朝食を取った後、食べた後の食器を流しに持っていく。
この辺りはカルツとラゼルが教え込んでいるので、同年の子供よりもコノエはしっかりとしている。
「カル、ごちそうさまでした」
「ああ、お粗末様でした」
きちんと挨拶の出来るコノエの頭を優しくカルツが撫でる。コノエはその感触に嬉しそうに笑った。
それからくるりと食後のコーヒーを楽しんでいるラゼルを振り返る。
「ラー、今日もあれやろう?ひらがな!」
「あぁ、分かった。すぐに行くから先に着替えて待っててくれるか」
それに素直にうんと頷いてリビングから出て行くコノエ。
最近では主にラゼルが読み書き、カルツが算数…と呼べるほどでもないが足し算引き算程度を教えている。
勉強というほどの勉強ではないが、まぁ少し早く始めるのは悪くはないだろうということで小一時間程度、コノエにこういったことを教えている。
ついでながら、ヴェルグやフラウドはこういうことには参加していない。
ヴェルグがそんなものを教えるわけもなかったし、フラウドは教える時にいらんことも教えるので。
この二人はどちらかと言えば、コノエと一緒に遊んで運動をさせたりという役割を持っている。
空になったカップを置き、席を立ったラゼルはカレンダーが目に入りふと笑う。
「―――ラゼル?」
「……いや、毎年思うことだが悪魔がクリスマス、とは。中々面白い趣向だ」
「今更のような気もするが。まぁ、クリスマス本来の意味を分かって祝っている人間も何人いるか分からないだろう」
「それもそうだ。それに別に、俺たちは聖者を祝っているわけでもないしな」
「無論だ」
祝うのは、愛しいあの子と今年も一緒に過ごせたということ。
未だあの子が自分たちと一緒に居てくれているということ。
それから、これからも一緒に居て欲しいという願い。
悪魔たちにとってのクリスマスというのは、そういうことだ。
お互いに苦笑にも微笑にも似た笑みを交わした憤怒と悲哀の悪魔は、そのままお互いがするべきことのためにそれぞれの場所へと向かった。
「―――まいったな」
ラゼルとの『お勉強』が終わったコノエは、リビングへと戻ってココアを飲んでいた。
カルツの作ってくれた丁度よい甘さのココアを味わっていたコノエは、聞こえて来た声に小さく首を傾げる。
ココアが入ったカップを机の上に置くと、キッチンへと顔を出す。
「カル?」
「あぁ、コノエ。飲み終わったのか?なら、カップは流しに…」
「うぅん、まだ。…カル、なにかこまった?」
そう訊くと、カルツは秀麗な表情を少しだけ苦笑の形に変えた。
「聞こえてしまっていたか。今日のケーキの準備をしようと思ったんだが、材料が足らないことに気がついてな」
「コノエが行って来てあげる!」
「それは……しかしコノエ、」
「いいでしょ、カル。コノエもおつかい出来るよ」
ね、とカルツを見上げ、服の裾を掴む。
カルツは僅かに躊躇していたが、コノエのおねだりに根負けした。
しゃがんでコノエと目線をあわせ、落ち着かせるように肩に手を置く。
「―――わかった。しかし、一人では駄目だ。他の誰かについて行ってもらいなさい」
「うんっ。じゃあね……」
コノエはしばらくうーん、と宙を見上げて考えてから元気よくこう言った。
「―――ラーにおねがいしてみる!」
「あぁ、そうだな。それがいいだろう」
最も信頼できて、最も常識を揃えているのはラゼルだ。カルツは僅かに安堵した表情を見せる。
買い物なども慣れているので問題を起こす確率は限りなく低いだろう。
………少々失礼だが、フラウドやヴェルグでなくてよかったとカルツは思った。
「じゃあ、買ってきてもらうものをメモするから、コノエはラゼルを探してくるといい」
「はーい」
カルツに気持ちよく返事を返すと、コノエはパタパタとキッチンから出て行く。
今の時間ならば、ラゼルは自室で読書時間だろうか?
ラゼルは朝食が終わった後と夕食が終わった後の二、三時間は大抵自室で読書をしている。
うん、と自分の考えに頷くとコノエは二階のラゼルの自室へと向かった。
やはりコノエの予想通りに読書をしていたラゼルにおつかいの話をすれば、彼は快く了承を返してくれて、コノエはラゼルと一緒に街へと向かう道をゆっくりと歩いて居た。
「ラーのおへやにはいっぱいご本があるねぇ」
「うん?あぁ、そろそろ整理をしなくてはな。床が抜けそうだ」
「えっ?ラーのおへや、あながあいちゃうの?!」
「そうなる前にお片づけをしないとな、ということだよ。コノエ」
コロコロと変わるコノエの表情に微笑しつつ、僅かに歩幅を緩める。
気をつけてはいるつもりだが、やはりコノエとは根本的に足の長さが違うので時折歩幅が開いてしまう。
その度になんだか申し訳ないような気分になりつつ歩幅を緩めるのだ。
うんしょうんしょと必死に付いて来ようとする姿は実に健気で可愛らしいが、それで転びでもされたら大変である。
「コノエ」
呼べばすぐさま見上げてくるコノエに、手を差し出す。
するとコノエはパッと、そう、つぼみだった花が咲くように笑う。
それから小さな手で大きな手を取った。
その手はラゼルと比べれば小さいけれど、去年のコノエの手に比べれば大きくなっている。
それを少し寂しい、と思う。それをフラウドに言ったら「お父さんみたいだね」と言われた。
まぁ、立場的に間違っていないなと思ってしまったラゼルだったのだが。
(本当の父、ならば。―――こんな思いは抱いていまい)
愛しくて、守りたいけれど、とても欲しい。それは純粋な欲望。
こういうところは根本から悪魔の本能というかなんと言うか。人のモラルに反していたとしても大して気にしない。
モラルを気にする悪魔なんてものが居たら是非、見たいものだが。
この手がもっと大きくなって、ラゼルやカルツやヴェルグやフラウドの隣に並んでも近い位置に顔があって。
そんなコノエと一緒に、自分たちでない存在が隣に居たとしたら。
(それが女だろうと男だろうと)きっと、許せない。優しく見守っていることなんてしない。
これは俺たちの、俺のものだと。お前が入って来る隙間なんてこれっぽっちもないと。
実に大人気ないのを自覚しつつ、それでもまだ見ぬ存在に自分の中にある灼熱のマグマが揺れる。
「ラー?」
くい、と弱い力で腕を引かれたと思えば、コノエがその場に立ち止まってラゼルの顔を見上げていた。
その顔はなんと言うか、弱弱しいとはまた違った…不安そうな表情だった。
どうしていきなりそんな表情をしているのかが分からなくて、ラゼルはしゃがんでコノエと目線を合わせる。
「コノエ?どうした、何か…」
「………、」
コノエは何も言わない。ただじっと、ラゼルの顔を見詰めている。
ラゼルは訳が分からず、けれど視線を外すことはなかった。多分、コノエはそれを今望んでいない。
必死とも取れるほど一心にコノエは真っ直ぐにラゼルを見ている。
それを見返しながら、ラゼルはコノエの視線はいつも真っ直ぐだと改めて思う。
曖昧な壁を置かない、置いたとしてもすり抜けて届きそうな視線。
―――デジャ・ヴ。
そういえば、初めて出会った時もそうだった気がする。
そんなことをとりとめもなく考えていると、ふわりとした衝撃ともいえない衝撃。
「……コノエ?」
「なぁに」
いや、何はこちらの台詞というかなんと言うか。
コノエはラゼルの首に手を巻きつけて抱きついていた。コノエの行動の意図が読めなくて、ラゼルは首を傾げる。
しかもなんだか、抱きつき方がいつもと違うような気がしてさらに疑問が追加される。
「コノエ、どうし…」
「ラー」
「――なんだ?」
「いるからね?」
「コノエ…?」
「コノエはラーと、フローとカルとベルと、いるからね?」
嗚呼、と思った。
この子は時々こうしてこちらが驚くほど他人の感情に敏感で。
いつもはこちらがコノエの感情を読むのに、時折コノエは自分たちよりも簡単にこちらの感情を読む。
つまりは先程の自分の情けない嫉妬と多少の不安も読まれてしまっていたということで。
それなのに、自嘲よりも先に安堵を感じるのはコノエがこうして『抱きしめてくれている』からだ。
コノエは『抱きついてきた』のではなく、『抱きしめてくれている』からだと分かった。先程感じた違和感はこの違いだ。
「本当に…」
「?」
「お前には敵わないな、コノエ」
ふと湧き上がる笑いの衝動に身を任せつつ、ラゼルはコノエを抱きしめ返した。
今はまだ、未来ではなくこの一瞬の方を大事にしようと、想う。
「せーの!」
可愛らしい声を合図に、グラスとグラスが触れ合う甲高い音。
鮮やかなピンク色の液体が揺れている。―――シャンパン。
一通り皆と乾杯してから、その液体を喉に流し込む。
あっさりと飲み干す悪魔達を尻目に、コノエはちょびちょびと。
炭酸が少し苦手なコノエは、けれど自分も飲みたいと言った手前少しずつ飲むことにしていた。
机に並ぶのは料理店も真っ青な豪華な食事。
カルツの腕が遠慮なく振るわれた結果だ。
「あー、シャンパンじゃ物足りねぇなやっぱ」
「そう言うと思った」
開口一番そう言うヴェルグにラゼルは苦笑して指を鳴らす。
魔法のようにラゼルの手に現れたのは年季の入った赤ワインのボトル。
それを見たヴェルグは口笛を鳴らす。
「いいの持ってんじゃねぇの」
「本来はお前には勿体無い代物だがな」
「んだとコラ」
「ワインは味わうものだ。がぶ飲みするものではない」
ぴしゃりと言ってのけるラゼルに不服そうな顔をするものの、ヴェルグは何も言わない。
此処で反論の一つでもすればワインが自分の口に入ることなく消えることを承知しているからだ。
「ベル、コノエも飲むっ」
「おーそうか?まぁちっとなら…」
いい、と言いかけたヴェルグの手元にナイフが突き刺さる。――神速。ヴェルグでなければ避けられなかっただろう。
ピキ、とヴェルグのこめかみに青筋が浮く。視線の向かう先は無論。
「てめぇ、いい度胸してんじゃねぇか…」
「無責任なことばかりを言うからだ。コノエは未成年どころかまだ思春期にすら到達していないのだが?」
「こういうのは無礼講っつーんだよ!」
「普段から無礼な貴様にそんなものはない」
「やるかこらァ…!」
「―――はいはいはいはい。おめでたい日にそういうことするの止めてくれる?」
カルツからは冷気が立ち上り、ヴェルグからは電撃の火花が散る。
こんな日までも一触即発な二人にフラウドが割って入る。
にこりと穏やかに笑っているものの、フラウドの背後で風が渦巻き、黒いオーラが出ている。
そんな彼に逆らおうとするものが居るだろうか?―――いいや誰も居ない。
さらにはラゼルの静かながら鬼火を灯した視線がざくざくと突き刺さっているのもよろしくない。
静まった二人を横目に見つつ、フラウドはきょとんとしているコノエに声をかける。
「あぁ、ごめんねコノエ。…何か食べるかい?届かないところの、取ってあげようか?」
「…あ、うん。食べる!あのね、あのね、あっちのと――…」
さらっと話題を逸らし、酒の関心からコノエの心を別の方向に向ける手腕はさすがと言うべきだろうか。
ラゼルはやれやれとため息を吐きつつ、ワインを自分たちのグラスに新たに注ぐ。
「仕切りなおしだな」
「……すまない」
「構わないさ」
静かに詫びるカルツに首を横に振りつつ、横でケッと吐き捨てるヴェルグの脛に一撃を入れるラゼル。
痛みに声も出ずに悶えるヴェルグを指差し、首を傾げるコノエにフラウドが気にすることはないと肩を竦める。
いつもと同じように、けれど少し違った雰囲気を纏いながら、コノエと悪魔達の食卓は進んだ。
もちろん、デザートの大きなケーキもカルツの手作りでコノエは目を輝かせる。
ケーキ職人にでもなっちまえとヴェルグが言えば、なっても貴様には絶対食べさせんとカルツが静かに睨みつける。その光景をフラウドが見て肩を竦めながら笑い、ラゼルはさっさと蝋燭に火をつけていた。
準備が出来れば、ちらりと皆で視線を交わして。いっせーのせ、で。
今年も君と過ごせました。
そのありがとうを込めて。
今年も君の隣に立てました。
その幸せを込めて。
来年も君と一緒に居たいです。
その願いをいっぱいに込めて。
『メリー・クリスマス!』
「んと……」
楽しくて綺麗で、きらきら光ってたような夕飯の時間が終わる。
特別な日。一年のとある普通の日だけど、特別な日。
それが終わるのももうすぐで。
皆で居るのも勿論すごく楽しかったし嬉しかったけれど。
でもやっぱり、最後は一緒にいたいな、と思ったので。
コノエは―――。
コノエは廊下に出ると、そのまま二階へと上がった。
―――ラゼルのところへ行くために。
先程、自室に戻ると言っていたので部屋にいるはずだった。
なんでラゼルのところへ行こう、と思ったのかは分からない。
ただ、ふと何かの衝動に突き動かされるように自然と足はラゼルの自室へと向かっていた。
こんこん、と小さくノックをすればどうぞ、と告げる穏やかな声。
コノエは少しだけ躊躇してから、かちゃりとドアを開けた。
「ラー?」
「―――コノエか。ちょうどよかった。…おいで」
優しく促されて、コノエはラゼルの部屋へと足を踏み入れる。
その際に、ふわりと柔らかで艶やかな匂いが花を掠める。
落ち着いた色彩やアンティークで占められるラゼルの部屋に、その匂いの元はあった。
「わ…ラー、そのおはな…」
「綺麗だろう?あぁ、少し待っていてくれると助かる」
ベッドに腰掛け、ラゼルは大輪の花束を抱えていた。
純白の、大輪。咲き誇るそれらがあの艶やかな匂いの発生源だったらしい。
そして響くのはパチン、パチン…とい不規則な音。
ラゼルが手元で何かをしているらしかった。
コノエは小さく首を傾げると、よいしょとベッドに登ってラゼルに近づいて手元を覗き込む。
どうやらラゼルが鋏で花の茎にある棘を取り払っているらしかった。
「えーと…ばら?」
「正解だ。よくわかったな」
殆どの花の棘は取り払われていて、ラゼルが握っているものを除いてあと数本のようだった。
しかし、どうしてラゼルが花束などを持っているのだろう?
部屋に飾るにしては量が多いし、そもそもラゼルは部屋に花を飾ったことなんてないはずで。
誰かに貰った、というわけでもなさそうだった。
ならば、最後に考えられるのは誰かへのプレゼント、だろうか?
「ラー、このおはな…どうするの?」
「―――『ある人』にプレゼントしようと思って、な」
「……そう、なの…」
チクン。
何かが胸に刺さったような気がして、コノエは胸の部分にある服を握った。
無論、触っても何もなってはいなくて。
けれど、今確かに何かが刺さったような痛みが、あった。
ラゼルはそんなコノエの様子を知ってか知らずか、手元の花に視線を注いだまま言葉を続ける。
「俺の一番大切な人のためにな、クリスマスプレゼントとして取り寄せたんだ」
「……う、ん」
チクン、
「どうしても薔薇が…白い薔薇が良かったんだが。棘がついたままだと危ないだろう?」
「…けが、…しちゃうよ…ね」
チクン、チクン、
「あぁ。だから、今棘を取っているところだ。…すまないな、コノエ。もう少し待っててくれ」
「……うぅん、いいよ。…へやに、もどる」
チクンチクン、チク、
会話をするたびに、胸の痛みは増した。
まるでラゼルの取り払っている棘が全部、コノエの胸に刺さっているかのような痛みに眉を寄せる。
そんなことあるはずはないのに。何かの病気、だろうか。
会話を交わす度に苦しくて、胸は痛くて、どうしようもなくなる。
その『大切な人』を思い浮かべているラゼルの表情を見るのが、何だか辛かった。
どうしちゃったんだろう、と思ってもそれはなくならない。
息苦しさも、胸の痛みも、心の辛さも。
だから、コノエは自分の部屋に戻ろうとした。
元より、明確な理由があってラゼルの部屋を訪れたわけではなかったから。
そうして、ベッドから降りようとしたコノエの腕をやんわりと、しかし動けないように掴んだのはラゼルの手だった。
「ラー…?」
「―――もう少しなんだ。待ってくれないか?」
ラゼルの青い瞳は穏やかだけれど、抗えない強制力のようなものがある気がする。どうして自分を引き止めるのだろうと疑問に思いながらも、その青い瞳に見詰められてコノエは咄嗟に頷いてしまっていた。
それをラゼルは嬉しそうに、満足そうに見返すと最後の1本の棘取りへと戻る。
コノエはそれを見ながら、ラゼルは誰にそれをあげるつもりなんだろうとぼんやりと考えた。
ラゼルは優しくて、穏やかで、頼りがいがあって、温かくて、それから、それから…。
そんなラゼルに花束をプレゼントされる『大切な人』は誰なんだろう?
そこまで考えて、コノエはどうして自分はこんなにその人を気にしているのかと思い当たる。
けれど、気になってしまうのだ。
「―――…ノエ」
息が苦しいから。胸が痛いから。心が辛い、から。
「…ノエ、コノエ」
あぁ、なんだか、泣きそう、だ。
「コノエっ」
「えっ?!」
びくり、と大きく肩が跳ねる。
何処かぼんやりとしていた頭と視界が一気に引き戻されて、少しよろめいた。
泣きそうだと思っていた涙も、今ので引っ込んでしまったようだった。
しかし、後ろに倒れることはなく、ラゼルが掴んだ腕を軽く引っ張って抱き寄せる。
「……驚いた。何度呼んでも反応しないから。…大丈夫か?」
「う、うん。…ごめんね、ラー」
「気にするな。お前が無事ならいいさ」
優しく微笑むラゼルにまた、チクンと胸が痛い気がする。
どうやら薔薇の棘取りは終わったらしく、沢山の花束をまた1つに戻していた。
それで、コノエをこの部屋に居させたのは結局なんでだろうと首を傾げていると、ラゼルが自分の横のベッドをぽんぽんと叩く。―――そこに腰掛けろ、ということだろうか。コノエは大人しくベッドに近づいて、そこに座った。
すると逆にラゼルがベッドから立ち上がると、コノエの真正面に膝を立てて座った。
「ラー…?なに、」
「―――MerryChristmas,Konoe. …俺からのクリスマスプレゼントだ。気に入ってもらえると嬉しいのだが」
「え……?」
そう言って手渡されたのは、今の今までラゼルが持っていた純白の薔薇の花束。
流石に面食らったコノエは、花束を膝の上に置かれ、落ちそうになって慌てて抱きしめるようにして花束を掴む。
呆然とその薔薇を眺めてから、微笑してコノエを見詰めているラゼルを見る。
「だ、だって、ラー…、これ、たいせつなひとて…」
「そうだぞ?大切な人のために用意した。―――お前だよ、コノエ」
「え?え、…えぇっ?!」
薔薇とラゼルを交互に見るコノエを、ラゼルはしてやったりという微笑で見ている。
ラゼルの大切な人なんて、ラゼル本人や他の悪魔達に言わせればコノエしかいないというのに。
どうやら本人には分かってもらえてなかったようだ、と内心で肩を竦める。
「こ、コノエが、ラーの…たいせつな、ひと…?」
「勿論だ」
「―――うそ、じゃない、よ、ね…?」
「悪魔は嘘を吐かないよ、コノエ」
断言すれば、コノエは一瞬泣きそうな顔になって、それから飛び切りの笑顔で笑った。
あぁ、この顔が見たかったんだ、とラゼルは目を細めてそれを眺める。
しかしよく見ると、泣きそう…ではなく、一瞬泣きかけたのか目尻に涙が浮かび上がってしまっている。けれどラゼルは、それが悲しいからではないと分かっていたのでゆっくりとコノエを引き寄せると溜まった涙を唇で吸い取った。
「気に入ってくれたか?コノエ」
「うん…うんっ……!うれしい、ありがとう、ラー」
「そうか。…あぁ、あともう一つプレゼントがあったんだ、コノエ」
「え、もうひとつ?」
頭に疑問符を浮べるコノエに、ラゼルは笑う。
「赤い薔薇は『情熱・愛情』。ピンクの薔薇は『上品』。……そして白い薔薇の花言葉は『私は貴方に相応しい』。俺はいらないか?コノエ」
コノエの髪を一房とって口付けながら色っぽく囁いたラゼルに、コノエは真っ赤になりながら小さく「…いる」と告げた。
Happy Christmas!
〜END〜
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TEXT by 「紅鴉の唄:神末」さま
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